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私が死を迎えた時、肉体というすべての感覚機能を失い、魂だけが残る。

「よかや!? よう、聞いとけ、おまえたちは都会に行ってしもうとうばってん、おいたちはどこにおってん、どげんことがあってん、霊魂ば信じとる、そいば忘るんな!」

田舎の叔父さんの言葉です。
私は、1966年(昭和41年)長崎の平戸という島のほぼ中央部に位置する紐差町という所で生まれ育ちました。
かくれキリシタンのいたような地域です。
どんな町かというと町の中心にお城のような教会があり、8割以上の人はクリスチャンでした。
おばあちゃんの家には、おばあちゃんがつくった仏壇があり、おじいちゃんの写真と一緒に、本当に表面には、仏様、裏面にはマリア様がある像がありました。

町に鴛ノ岳とよばれているかわいい丸いお山があって晴れた日には朝鮮半島まで見えました、いつもたっぷりロウを塗り込んだ自作のソリを持ち野滑りに行っていたのですが、ある日、ヤマの上の石の上によじ登り、おばあちゃんに持たされた弁当を食べ、昼寝して、ご機嫌で最高の景色に向かって小便をぶちまけて帰ってきました。
得意げに祖母に話したボクはこっぴどく叱られました。「でけん‼︎」と
その、大きな石組みはひっそりと町の信者たちを守る十字架として横たわっていたらしいのです。

私は、敬虔なカトリック信者の祖母とお坊さんの祖父の子どもたちの間に生まれました。
ちょっと特殊です。
何故かって、こんな町に生まれたのにクリスチャンにはなれなかったのです。
父と母が結婚する時、神父さんが父にいったそうです。
この人を妻にもらうかわりにあなたもカトリックになりなさい。と、答えはnoです。
それなら、こどもが生まれたなら幼児洗礼を受けさせクリスチャンにしなさい。と、こちらも答えはnoです。
協議しても結局、答えはでず、双方話し合いした結果、神父さん側はバチカン市国宛に私が、物心つくまで一切の宗教を持たせないという誓約書を送ったそうです。おかげさまで、いまだに何の宗教も持ちません。
ですが小学校時代のこども世界はあまいものではありませんでした。
教会へ通うクリスチャンのこどもと、仏教の子や、特に宗教を持たない子とは、ランク付けされていました。
後者の子はゼンチュウ(禅中)と呼ばれ、格下でした。
ヌシャ、ゼンチュウのくせン、ノボスンナ(おまえは、仏教のくせにのぼせるんじゃない)といった感じです。
だから、とってもクリスチャンの子たちが羨ましかった。
こどもの世界は、その昔、踏み絵があり、首をはねられたり殺されたりした人たちがでた地域とは思えないほどの場所でした。

それでも、祖母と母の関係上、おみどにも通っていた自分は、幼なじみの子たちになんでクリスチャンじゃないと?なんでなれんと?  とよく聞かれました。
私の育った町で一番偉い人は神父さんでした。
どんなことがあっても神父さんのいうことは聞かなければなりません。
教会は「おみど」とよばれていて、「けいこ」と呼ばれる学校がありました。
小学校より、放課後、おみどで行われる「けいこ」劇や、聖歌、聖書のお話しを聞く事の方が町をあげて重要だったのです。

小学校三年生の時だったか、担任の先生があまりにこどもたちが言うことを聞かないので学校の宿題や勉強を優先するように指導したことがあり、当然、大問題になりました。
どこの親もあの先生はなっとらん…と。

逆に神父さんも大変だったと思います。
私の祖母が亡くなった時のことです。
ばーちゃんは脳卒中で病院に運ばれました。
集中治療室からでてきて親戚中に囲まれてます。
動かんばってんばーちゃんは耳は聞こえとるけん、みんな 話しちゃれとかいってる叔父さんたち。
ルルドの聖水と呼ばれる透明なマリア様の形をしたお水の入ったものを胸に持たされています。
神父さんがまだこんばい、今度町に来た神父さんは若いけん、ダメかんしれん。とかいってる。
少ししてから、私にもその意味が分かった。
どうやら、神父さんは奇跡を起こさねばならない運命にあるということだ。
うちのばーちゃんを生き返らせんと町の神父として認めない。
ということだったのでしょう。

永遠の命、魂の蘇りを信じる者たちとして…。
でも、神父さんは奇跡を起こした。
神父さんがお祈りをしてくれたあと、なんと、ばーちゃんの足がピクッと動いた。
そのことで、みんな神父さんの事を認めたようだった。
神父さんの仕事は教会のミサだけでない。
町中の人たちの健康、状況、心理状態を把握してなければならない。
なるほど、町で一番偉いはずです。
長崎はカトリック教会がたくさんあって神父さんも地域の移動や配属があります。
すべてに対応していかねばならない大変な仕事です。
私は縁あって結婚式を鎌倉の雪の下教会であげさせていただきました。
式をとりもって頂いた牧師さんは私の幼少期の話を聞いて大変興味を持たれました。
鎌倉には、カトリック教会とプロテスタント教会が近い位置に並んでいます。

仲がいいです。昔の平戸ではありえないことだった気がします。

友だちの家に遊びにいって年寄りがいるといつも同じ事を聞かれました。

あんたは、カトリックなのか?プロテスタントなのか?と
町の教会にいけば、イエス様、マリア様の像があって、十字架にかけられるまでのすごい絵画が何枚も飾ってあり、これが教会だと言わんばかりの神秘的なステンドグラスの光に照らされた空間がありました。
小さい頃から通う自分たちのおみどは心のよりどころであり、絶対的に守るべき特別な場所なのでしょう。
シンプルなプロテスタント教会には若干の違和感を感じますが、やはりここが大事なことに変わりないですね。

汝、我のほか、何の偶像をも刻むべからず。

今でもこの言葉、いつもドキッとします。

私は神は刻んでませんが、その場所、場所の精霊だと考えている節があるからです。

そして、私の作品たちはあの世とこの世の結界にたつ道祖神的なものであり、結界の生き物たちだと思っています。

親戚のおばさんを亡くしたときは、体を治療できるお薬のような作品になりたいと願いました。

もの言わぬ魂たちの心の語り、叫び、願い、私の創作した不思議な生き物たちは全て、屋外、自然を舞台に撮影しています。

そして、ホピ族のカチーナ人形の精霊たちも、日本の八百万の神々も仲間だと思っています。

私の場合、素敵な自然の場所や、気持ちのよい景色とそこに魂を感じる創作された生き物がいて

緩いメッセージと心が癒されるよな景色に共感してもらえるお友達がいてくれたらとっても幸せです。

だから、自分が生きてることを自分なりに懸命に考え、そのために、これからも、少しでも気持ちよく、心地よく、楽しく感じられる作品となるよう精進していこうと思います。

創作活動をする上で、気持ちを整理する上で、大事な時期にきたのではないかと思っています。

何か自分にコンセプトらしきもの、メッセージがあるとすればその原点は、平戸という「自然の中で虫とり、魚とりして暮らしたあの生活」と「霊魂ば信じとる」というあのスピリッツが重なったものなのだと思うのです。