自分が、地球に生きている、骨格を持った哺乳類であるということ。
癒されること、気持ちよく感じることにおいて水平垂直はかかせない必須有要素だ。
四角いスケッチブックやキャンバス、携帯の画面は、それだけで建築構造的だ。まるでマイナンバーカードに登録されてるようだ。
それはボクを守ってくれる反面、平均化され、埋没し、残りの人生を満足させてはくれない。
四角い紙に絵を描くのは当然なことか?そこにボクを騙そうとする悪魔は潜んでいるか?本当に便利なだけか?
創造物は、もともと、メモリアルなところを目指して進むのではない、動く、生きる、人類が前に進む、進化することを欲しているのだと思う。
当然、スピリッツはなくては、ならない、一番最初の条件だ。
ボクが目指してる姿になるためには、悪魔的風習や社会、組織に騙されずマジメな日本人として生きないことをココロに秘めながら謙虚に生きていくことだ。
矛盾していると思う。
けれども
そのうえで、あえて、この世にある、モノも、他人もまず、全て疑え!!
商業主義的でなく、いやらしい考えもなく、正直な作品がどれだけ存在するだろう…みんな生きていくのに必死なのだ。
資本主義の成功者、裕福層が肥え続けるために世界は進む、おにぎりひとつ食べれず餓死する親子のニュースを聴きながら、富裕層の贅沢には溜息しかでない。
もし、ボクが、いま、サラリーマンをやめたら、月に同額のカネを手に入れられるとは思えない、貯蓄もない、家族など守れるはずもない、飢え死にする…本気なら、会社などやめて、とっとと作家になれ?背水の陣?藁をも掴む気持ち?必死?
すみません、あまちゃんです。
そうだね、ボクは、アートだけでゴハン食べてないから本気じゃない、ニセモノ野郎だ…寒空の下に飛び出す勇気さえないよ…
けれども、そんな偽物野郎も、自分の頭で考えだしたことたけが、自分を守ってくれると信じてるよ。
他人を絶対に参考にするな、自分は自分。模倣は敵!他人のマネ?教えを請うなど、思考の停止だ。自分だけの頭で考えて勇気を持って動こう。
センスが作家の財産ならば、自分に厳しく、創造しなければいけないと思う。
自分のイマジネーションだけが自分を守ってくれる。